原節子という昔の女優さんがいますね。昭和20年代の女優です。小津監督という、日本の古い心のやりとりを映画にした人がいて、その人が亡くなった葬儀のとき、通夜だったかな。それに姿を現して以来、ぷっつりと今までに一度も姿を現したことがないというね。引退も何もないままにいなくなったのです。今は鎌倉に住んでいて、90何歳だろうと言われています。だけど現れていませんからどうなっているのかわからないということでしたが、2015年に95歳で亡くなりました。

小津監督がその人と初めて撮った映画をDVDで見ていました。「晩春」という映画です。時代設定は昭和24年くらいでした。その頃に撮っているのですね。ちょうど私が子どもの頃に見聞きした風景が次々に展開するので、懐かしいなと思って見るのですけれども、内容はそれほどたいしたものでもありません。あの頃の時代では恰好のテーマだったのかもしれませんが。

27歳のOLが嫁に行くかどうかなのですが、父一人、子一人なのですね。原節子が娘で27歳。父は笠智衆です。この人はずいぶん長くまでやっていましたね。亡くなりましたけれども。この二人の会話です。お母さんが亡くなって、お父さんの身の回りの世話を娘がしています。いろいろな縁談が来るのですが、その娘には全然縁談に乗る気がない。友だちもどんどん結婚していくし、同窓会では「あなたともう一人だけだよ」と言われてね。中には出戻った人もいたりしますが。

そして従妹に当たる人が出てきて、お父さんの妹の子だったか弟の子だったかわかりませんが、それがときどき出てきます。だいたい同い年くらいですごく仲が良いのですが、彼女は一度お嫁に行ったけど帰って来ている。

この物語の中で最初に出会うのが叔父さんです。お父さんの弟なのかわかりませんが、叔父さんと銀座で待ち合わせをしてお茶を飲んで帰ってきたという場面ですね。

そのときの話題が何かというと、叔父さんのことです。この叔父さんには死に別れた奥さんがいて、最近新しい奥さんをもらったという話になるのですね。その話題の中で一番のセリフが、「おじさま、結婚なさったってね」と言うわけです。「うん」と言う。それで「まあ、不潔!」と言うのです。不潔と言うのですね。「私、許せないわ」「そうか。不潔か」と言うのですが、「不潔だわ」と言う。これが最初のシーンです。

それが結局この映画のテーマになっていくわけです。それでいろいろな人が「そろそろ結婚させたらどうか」と言うのでそれを娘に言うと、「私がお嫁に行っちゃうとお父さんが一人になってしまうから」と言う。お父さんは学者か何かで、家でいろいろな調べ物をしながら仕事をしている人で、身の回りのことがまったくできない。「タオルの交換もできないし。だから私がいないと」と言ってはぐらかすわけですね。

ところがいよいよお父さんの妹が持ってきた縁談があって。相手の人は熊太郎という人で見合いをすることになったのですね。周りの人は「この人はいい」と言ってね。「名前が熊太郎だけど、この人いいね」という話で。「熊さんと呼ぶのも変だし、熊太郎と言うのも変だし。くーちゃんと言おう」という話で盛り上がっていました。「一度会ってみてくれ」ということで会ったら、そんなに嫌じゃないというかな。「決めたら?」と言うのですが、お見合いをしてから一週間経っても返事をしない。向こうからは「ぜひ」と言われているのです。

それで「どうしよう」と言ったときにわかるのが、この娘はお父さんが大好きなのです。それが言えない。原節子は笑顔がすごくきれいな女優さんなのですが、フッと笑顔が消えてお父さんに対して目が怒っているという表情をする。

それでお父さんは策を講じて、「おまえが嫁に行ったらわしも嫁さんをもらう。だから身の回りの世話は気にしなくていいよ」という演出をするわけです。「この人がお世話をしてくれることになっているから、安心して行きなさい」と女性を紹介して言うのです。

「まあ、不潔!」になるわけですね。お父さんも不潔です。ところがそれがきっかけで、「お父さんがそうだったらまあいいかな」ということで、父と娘二人で京都に旅行に行くのですが、旅行に行って寝る前に娘が本音を言うのです。

「お父さん、死ぬまで私を置いてください。私がずっとお世話します。離れるのは嫌。ぜひさせてください。私は結婚なんかしません」と言うわけです。「そういうものじゃないよ」とお父さんはたしなめます。それに切り札は、「俺も見てもらう。それぞれの世代の人生があるんだ。嫁に行きなさい」と言って、やっと最後に「うん」とうなずくのですね。

それでパタパタと結婚をして嫁に出すのです。東京駅まで送ってきたという最後のシーンがあって、「今、どのあたりに行っているかな」と言っている。新婚旅行に行っているわけですね。ホッとしているのです。

そのときに姪がいて、その出戻りの姪ですよ。「おじさん、寂しくなりますね。大丈夫。私がしょっちゅう遊びに来てあげる」と言うわけです。そうしたら、「来てくれるか?」と本気で言うわけです。「いろんな話し相手がほしいでしょ?私、どうせ暇だから。しょっちゅう来るから」と言ったら「本当に来てくれるか?」と言って、それで姪が見抜くわけです。

「おじさん、ウソついたのね。のりちゃんにウソついたのね。おじさんは全然再婚するつもりがないでしょ?」と言う。「わかるか?」と言うわけですね。「お嫁に出すためにそういうウソをついたのね」「そうでもしなければ紀子は見合いを受けることをしなかったから」と言って一人暮らしになっていくという、そういう話なのですね。

父親というのは人生をずっと長く見ていますから、これがこうなったらこうなるということを思うわけです。娘は目の前の、父親の世話ということに一生懸命になっているから、「私がしないとお父さんが困る」ということでそこで止まる。価値観が全然違うのですが、父親の方が先回りをしてそういう芝居を打って嫁に出すという、そういう話です。

映画としては何のテーマがあるわけではありません。サーッと、そういう事情のことです。小津監督の得意な世界ですね。

…どんな話をしていたんでしたっけ?そうそう。手前だけを見ているのではなくて向こうまで見て、それで今どうするかということをしていかないと見えませんよね、という話ですね。

最近は本当に私もこの生き方提案というのを遺していくために、ここの部分まで一緒に考えてくれればいいのですが、ふと振り向いて「ねえ」と言ったとしてもスタッフは自分の、もっと手前を思っています。確かに同じ方向なのですが手前にポイントを当てられていると、やっぱり違うことを考えていると同じなのです。方向は一緒なのですが、向こうなのか手前なのかということです。すごく近未来というか、目の前のことしか気にしていない。それを一生懸命に考えているのです。見ている方向の遠さが一緒かどうかということがとても大事なポイントだと思います。
(西)